「ナンバーワンよりオンリーワン」というメッセージが含まれた歌が流行ってからどれくらいの時間が過ぎただろうか

ようやっとその言葉の真意に近づける気がしたので筆を取った次第です。

幾年が過ぎた後「2番じゃダメなんですか?」が世間の話題となり、
そこに影響された結果1番であることが正義で、それ以下はゴミだと、つい最近まで思っていました。

僕はどうやら「比較病」という病にかかっていたのではないかと感じられます。
いや、未だに完治はできていない病です。
そんな病気はないんですが、ただ、資本主義の社会で心を大きく擦り減らす病であることは間違いないです。

 

「比較病」は誰もがなります。
かかると途端に自己肯定感は失われ
気付けば虚無主義のような 全てがどうでもよくなり無気力になり
そして人生を諦める決断を下しかねない病

かかるタイミングはどんな時期にでもあります。

人は生まれた時から常に比較されています。
出産時の体重に始まり かけっこ
学校に入れば偏差値がつきまとい
入った大学の比較 会社の比較 収入の比較
結婚年齢の比較 子供の数の比較 部屋の広さの比較
身に着けているものの比較 全てで社会は人を比較していきます。
兄弟がいればその比較は更に倍になります。

社会には常にランキングがはびこっていて、
テレビでは毎日生まれた月日によって1位から12位が決まる

その中で、人は「比較病」になるわけです。

ここで言っていかなければならないのは
僕はランキングや比較 競争に関しては大好きだということ
星占いで一喜一憂して 12位の日は1つでもランクを上げるべく様々な占いでいい結果が出るまで占うこともあるくらいですし、毎日野球のペナントレースの順位表から打率ランキング 防御率ランキングまで見ます。

競争というのは勝つ喜び 負ける悔しさ 生きる楽しみを得られる素晴らしいものです。
これこそが人類の中で一番流行っているゲームとも言えます。

ですが、「比較病」にかかるとそのゲームに参加したくなくなる。
勝った場合も上には上がいる、世界で一番にならないと自分を認められない思考になり、それがすべての分野においてつきまとう 
結果、神にでもならない限り自分を認められなくなる
いや、万が一 いや、億が一 いや、那由多が一 神になったとしても自分を認められる日はやってこない
「2番じゃダメ」をはき違えると 人類で初 いや 人類永劫トップでなければダメ
という錯覚に陥る。 勝ったとしてもです。

負けたら極限までの自己否定を繰り返す。
ランキングこそがその人の価値であると錯覚をしてしまうわけです。
更に過去の自分とも比較をはじめ 自動的に過去を美化し、その過去と今とを比較し、そして絶望する。

 

 

ここまでで思い当たる節があるでしょうか?
それともそんなことないよと思うでしょうか?

 

 

後者の方は僕にとってとても大事なことに気づいていると思います。
前者の方はまだそれに気づいていないだけなんです。

この1つの「気づき」だけでこの病にはかからずに済みます
おそらく、多くの人は人間関係の中でこの「気づき」を得ることができるでしょう
その「気づき」こそが人生を楽しく生きるための「比較病」にならないワクチンです。

その「気づき」というのは
・比較というのは、他人が行うもので、当事者はそれを気にしなくていいということ
・勝負はいつも勝利条件の設定をする必要がある
この2点です。

比較というのは、それぞれがそれぞれ必死で頑張った結果を
第三者が見る時に見やすくするための早見表であって、それが価値の全てではない
勝利至上主義だとしても やっぱり最後には認めて、褒める作業というのを
「比較病」にならない人は無意識に行っているんです。

そして勝利条件というのは自分を認められるラインの線引きを行うために必要で
それを達成できたら まずは上を見ずに その地点で大いに喜び 自分を認める 褒める時間をとり
そして次の勝利条件を作るというのが大事で、
達成できなかったとしてもそれで自分の価値が無価値であることの証明ではない
あくまで、勝負においての手段の選択ミスであり、その人自身の敗北ではない、手段を変えてまた試してみればいい 
それがトライ&エラーというもの。

資本主義、競争社会の中で、これらの「気づき」のワクチンを接種できないまま大人になる
生きる楽しみを知ることができなくなってしまう。
それはとても悲しいことです。

ナンバーワンよりオンリーワンにはそれへのヒントがあった
けれど僕は今の今までそれに気づけなかった。
少しでも共感できた方は 自分にこう声をかけてあげてください、オンリーワンでいいんだよ と